社主の独り言(辛口)

(敬天新聞4月号)

▼世の中が段々複雑化、多様化する事に一般人が着いていけない。昔は「物を作る人」、それを「売る人」、そしてそれを「買う人」の三者位にしか分れていなかったのに、今はそれぞれに「投資する人」や「吸収合併する人」まで現れ、「それを騙す人」さえ職業に入れなけりゃいけないのかと思う程の多種多様化である。
 あの銀行でさえ、元の銀行名は何だったっけ、と辿り着くのが難しい。この合併や社名変更は何を意味するのか、未だに解らない。これが新自由主義?これが規制緩和?日本名をわざわざ洋風に変えて、世界中からお客さんを受け入れる為の作戦かね。
 唯一理解出来たのは朝日ビールをアサヒビールに変えた事。これは大成功だった。イメージ戦略が大成功して、古いイメージから脱却し、キリンに肉迫した。

 時代の流れのカタカナ名は仕方ないのかも知れないが、必要以上に社名変更する企業は要注意である。日本人は親から貰った名前は一生大切にし基本的に変えない。
 企業でしょっちゅう名前を変える企業がある。こういう会社は大体に於いて胡散臭い。取引業者や一般の人に疑われ出したり、不祥事を起したりしたら直ぐ名前を変える。
 目先を変えて誤魔化そうとするのだ。名前を直ぐ変える様な輩は、その会社に余り愛着がない。途中から入って来たとか、乗っ取ったとか、所謂、創業者じゃない場合が多い。創業者には我が子を育てる様な苦労と愛情が染み付いているから名前を変えるだけでも大きな決断を伴うのだ。

 ある時、金融機関との債務圧縮の依頼を相談された時があった。バブルが弾けた頃だから良くある話の一つだったが、その時彼の債務額は三千万円だった。
 私は頼まれた額の提示を持って交渉に臨んだのだが、相手が私に「倒産したら我々は回収出来ないですけどね」とヒントをくれた。
 それで私は依頼者に「この際、一度潰して名前を変えてやり直した方が楽じゃないの?」と軽く言ったら、その名前で三十年やって来たし社名だけはどうしても変えたくない、と三千万円を払う道を選んだ。薄利多売の僅かの儲けしかない中から三千万円を払って行く事は大変な事だろう。それでも彼はそちらを選んだ。

 その社名の中に創業した時の夢、苦労、成長、生活、愛、家族、従業員、取引先、仲間等、全てが含まれているのだろう。
 私は何度も「家一軒が買えるんだよ、名前を変えるだけで三千万円を払わなくていいんだよ」と言ったが、彼は頑なに変えなかった。勿論私は変えない事を前提に、その後の話し合いに臨んであげたのだが。

 密入国者や不法滞在者の中には、再上陸する為に名前を変えてパスポートを買ってくる者がいるらしい。生きる為に名前を変えるという事だろう。
 必死にすがるという姿勢は分らないでもないが、将来地球が一つになる事を前提とすればそれぞれの国にそれぞれの法律や文化がある事の説明も必要である。
 発展途上国の貧困者を助けてあげたい気持ちは山々なれど、際限がない事と、むしろその情を逆手に取ってくる悪質者が耐えないのには困った者だ。

 名を付ける事を「命名」と呼ぶ。その対象に識別記号だけではなく、大切なモノとして区別する為に命を吹き込むと言う位、本来、重要な事なのだろう。
 現代は、その想いを貫徹する事が、機転の効かない不器用と思われ、損をする時代である。しかし、その損を踏まえても自身の初心を曲げない人間達が今この日本にいるというだけで嬉しいではないか。

▼オバマ大統領の人気に翳りが出てきたそうである。予定よりは遥かに早いが、それは仕方がない。理想と現実の違いである。
 頭はアメリカで何本の指に入る程いいかも知れない。演説も素晴らしい。今のアメリカでは世界に対するアピール度でナンバーワンという事で選ばれた筈だ。
 風に勢いが付いてる時は、マスコミでさえいい部分だけしか発表しない。人間だから欠点もある。だが勢いに乗ってる時は、それを全て隠してマスコミはより煽るのだ。その後、オバマ大統領に少しミスが出てくると、一転、足を引っ張り出す。

 大体ブッシュ氏の現状が良くないから、と言ってバトンタッチした訳だけど、世の中を一度止めてから、修正後再スタートするとかなら分るけど現実には一瞬不帰の連続で、今この瞬間でさえ後戻りは効かないわけで、世の中は動き続けているわけだから、たったの二ヶ月で白だの黒だの言う事がおかしい。

 日本のマスコミや自民党だって同じだ。自分達が麻生氏を担いでおきながら、漢字が読めない、軸がブレる、と言って足を引っ張り出し、かんぽ問題で鳩山邦夫大臣に拍手が起こると麻生氏の続投を願ったり、国策や国民の厚生に対する考えというより、自分達の選挙対策しか考えていない。
 この政治家のモラルを法的規制を強化してでも大幅に改革しないと、官や行に指導出来るわけがない。総会屋もどきに金集めの上手い政治家もいれば、詐欺師と見間違う程レベルの低い政治家がいるのも現実である。

 オバマ氏に比べれば麻生氏も小沢氏も大分見劣りがする。だが日本という国には、矢張り麻生氏や小沢氏の方が似合うのだ。見返りを求める企業献金、陳情者の要請を叶えてくれる政治家が頼りにされるし、清貧だけでは頼りないのだ。
 今回の小沢氏秘書逮捕など内容が企業献金を迂回した寄付の政治資金規正法違反だから、多かれ少なかれ皆やってる事じゃないか、という位の感覚しかない。

 国民も政治家自身も。それでも通常なら秘書が起訴された時点で議員の負けという印象が強い。だが今回に限っては検察が小沢錬金術の悪質性をリークする割には国民の反応は冷めている。今回はその位チェンジを望んでいる、という事だろう。
 今後、別件が三つ四つ出れば、流石に国民も小沢の錬金術に呆れるだろうが、この一件の起訴だけなら、それでも一度は民主党に政治を任せて自民党政治の腐敗を壊さなきゃダメだと思っているのだ。

 憲法も法律も解釈する人によって大いに異なる。検事の裁量も判断も色々だ。国策捜査もあるだろう。匙加減もあれば、感情移入、好き嫌いだってある筈だ。時には人間としての情の部分だって出るだろう。朝出掛けに女房に愚痴の一つも言われりゃ、その日一日気分が悪いかも知れない。
 何を例に取っても永久にこれが一番という物は有り得ない事で、右に行ったり左に行ったり、上に行ったり下に行ったり、長くなったり短くなったり、政治も経済も流行り廃りも全て振り子原理の歴史の繰り返しである。

 自民党政治にこれだけ腐敗が重なり三代続く能無し政治が続けば、もう企業献金も要らない程集めたろうから、この際乱世の小沢に一度、腕を振るわせて見ては如何だろうか。

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