社主の独り言(中辛)

(敬天新聞3月号)

▼山平重樹氏著「新宿ヤクザ伝阿形充規とその時代」が売れている。阿形総長は当紙にもよく名前の出てくる人だから読者も御存知の人は多いと思う。
 私もいい御付き合いをさせて頂いている一人だが、どこから見ても暴力団ではない。暴力団というのは警察の造語であるが、確かにそう言われても仕方のない様な集団もいる。だが昔気質の素人を苛めない、人気のあるヤクザと言われる人も少なからずいる。阿形総長も間違いなくその一人である。
 私は九州生まれなので昔の新宿は知らないが、新宿ヤクザには縁がある。新宿で生き抜く事は大変だろうが、余所から来て、しっかりと根を張る人もいる。稲川会横須賀一家の井上組長がそうである。この人の言葉に「他人の縄張りに縄張りを作ると争いの火種になる。だから地域の人の心に縄張りを作れ」と言うのがある。本当に素人の人を大事にする親分である。いつも素人の人達と安い居酒屋で酒を飲みカラオケで唄うのが日課だ。ビックリするような素人のグループとの飲み会もあるらしい。
 当局がジェラシーを持って迷惑を掛けたらいけないので割愛するが、こういう人達が組織のトップに立ったら当局もヤクザを暴力団と呼べなくなるだろう。仮に暴力団を全て解散させた所で、一人で生きて行く所が無ければ、また人は群れを成す。
 魅力ある人を頭にして幾つもの群れが出来、争っては潰れ、争っては大きくなり、強くなれば、そこを中心とした利害が生じて来る。これは動物の本能だから、どうする事も出来ないのだ。
 パチンコの利権をヤクザが持っていた時代があった。それを犯罪と言いながら何時の間にか警察の利権にしてしまった。本当はおかしな事だ。だが一般の人が無法者のヤクザが儲かるより、警察が儲かった方がいいと思っているから許されるのだ。
 この金が国民の為に使われているならそれも良かろう。だが取り締まった側が全て自分達の利権にしてしまうのは如何なものか。このパチンコ利権を身体障害者や老人基金に当てたら国民は警察にもっと大きな拍手を送るだろう。
 犯罪者を取締る為に警察はある。治安を守る為に警察はある。法を犯せば平等に捕縛し、罰を与えるべきだ。暴力団だ、外国人だ、宗教者だ、政治家だ、と差別する必要は無い。右に行き過ぎたら左に修正する。左に行き過ぎたら右に修正する。強大に成り過ぎたら小分けにする。こういう事は自然の摂理として放って置いても成り立つ。
 昔、警察力が弱かった頃、共産主義を打倒する為、ヤクザの力を借りた。今はヤクザが強大に成り過ぎた為、潰す。組織力が弱まったり、直接的な数は減っても、ヤクザ的な人の数がこの世から減る訳じゃないから、どれだけ時代が代っても堂々巡りだろう。
 世の中は表だけで成り立つ訳ではない。正があれば負もある。数字で表すなら正が+で負が−となる。足し算だけが数字の世界ではない。引き算も掛け算も割り算もある。人が生きていく上での基本である経済は常に動いているし、「生き物」と言われている。
 生き物である以上、食もすれば糞もする。その糞にはたかる蝿もいるだろうし、分解するバクテリアもいるだろう。汚い部分は見たくない。見捨てたいが、全てを含めて世の中なのだ。牛や豚は食べてもいいが、鯨は食うなというバカもいれば、衣食住を祖国で世話になりながら祖国を批判するバカもいる。
 本来、日本古来のヤクザは任侠道と言って男を売って生きてきた。強き(権力を笠に着た濡れ手に粟で儲けた輩)を挫き、弱き(庶民)を助けた。勿論ヤクザ社会にも本音と建前はある。しかし法律よりも厳しい掟を命を賭けて守る事によって成り立つ社会だからこそ、どこかで誰もが認めているのだ。
 男の本能は雄の本能。雄の本能に一番近い正直な生き方こそ日本のヤクザである。日本のヤクザをマフィア化してはならない。侍の所作を残した任侠の世界は残さねばならない。
▼当社の近くに緑川という一級河川がある。所謂ドブ川で何年も掃除しなければ汚い、都会によくある川の一つである。それでも鳥達にすれば憩いの場なのか。カモの親子や時には白鳥なども遊びに来ている。
 その緑川を当社の隣人、渡辺武男氏が市議会議員時代、「緑川を綺麗にする会」と言うのを作って年に二、三度ドブ川に腰まで浸かって掃除していた時期があったらしい。自転車、車のタイヤ、テレビ、空き缶、プラスチックの容器、時には動物の屍骸等も捨ててあったらしい。それをいつも有志のボランティアで地域活動として続けて来たそうで、日本河川協会より表彰されたりもした。
 そんな武男氏も四年前の市議選で五期務めた市議を落選。御他聞に漏れず、落ちてしまえば只の人。金も地位もなくなったら彼の周りにいた人達も潮が引くように居なくなり、それはもう見事に哀れな現実だったらしい。今頃になって、あれは俺が裏で役所に入れてやった、あれは俺が特別に養老院に入れてやった、アイツを民生委員に推薦したのは、アイツの生活保護を貰ってあげたのは、とか一人壁に向って怒鳴った所で後の祭り。世の中そんなもんである。皆、自分の為に一生懸命生きてる訳だから、愛人だって役に立たなくなれば逃げるわな。
 前置きが長くなったが本日の本題は一級河川緑川の話である。もう四年も誰も掃除してないから緑川が汚くなった。そんな時、たまたま県土整備事務所の緑川清掃ボランティアの広告を見つけた渡辺武男夫人の恵子さんが、また清掃奉仕をやろうと友人数名に声を掛けボランティア申請した。すると、驚く事に県は了承したものの戸田市からNOと拒絶されたそうだ。
 無償で河川清掃を申し出た六十過ぎのおばさんグループに感謝こそすれ、何を持ってNOと言うのだろうか。
 どうやら市長と武男氏の因縁に影響があるらしいのだが、いい事を無償でやろうとしているのは夫人の方であり、本人は出稼ぎ労働者として働いているだけで一切関係ない。仮に関係があっても県が募集していて、県から是非と言っているものに、わざわざ市が何故NOと言うのか。それなら無償で自分達がやってみろ。誰もしないから見るに見かねて手を挙げたんじゃないのか。
 権力者の奢り昂ぶりは上限がない、の見本である。市長と武男氏との仲にどれ程の恨みが繋がっているのか知らないが、行政の担当者など感謝こそすれ断る理由など何一つないと思うのだが。日本人が忘れている美徳の根源の様な公共奉仕に手を挙げたおばあちゃんの集まりを自分の好き嫌いで潰すなんて世の中明らかに狂ってるね。

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