社主の独り言(和風味)

(敬天新聞09年1月号)

▼あけましておめでとうございます。昨年中お世話になった方々へ先ずは御礼申し上げます。改めまして本年も宜しく御願い申し上げます。
 さて本年は百年に一度の大恐慌だと、何処も彼処も騒いでおりますが、それは上層階級の論理であって、日頃からいい目に会った経験のない大半の人々には世の中の流れになすがままついて行くしかなく、弱者救済を謳うだけの政治や経済に辟易しているのである。
 日本には国民を、或いは政治・経済を引っ張るだけの強いリーダーがいない。仮にいたとしても、現政治はアメリカ追従型だからアメリカの景気次第、アメリカの政治次第で日本に喜怒哀楽がついて回る。小さくは坂本竜馬も西郷隆盛もいるのだろうが、あくまでもアメリカの子分という域を脱しない限り、その本領は発揮されないのである。
 だが傘の下にいる楽もある。上納金は思いやり(思い切り)予算で、湯水の如く取られるが、直接的な戦いは免除されるし、アメリカが強い間は経済も保障される、としてアメリカと共に歩む道を進んできた。だがその最強の筈のアメリカが今倒れようとしている。自分の力を過信し奢り昂ぶっていたからだ。
 栄華や繁栄は永遠ではないと言う事を歴史が常に教えているのに、時の権力者は世の中が見えなくなるのだ。アメリカの場合、ソ連が自滅してから一強になった為、尚更錯覚したのだろう。一強支配でも構わないが、やはりそれなりの支持は必要である。
 アフリカやアジア、南米と弱小国だからと言って全ての国々を敵に回すとアメリカと言えども勝利は在り得ないのだ。これらの国々と戦争をして一時的に軍事的には優位に立っても、その国の人々の心まで服従させる事は出来ないのだ。アフガニスタンにしてもイラクにしてもアメリカから見れば木っ端の様な存在だったろうが未だに征服出来ないでいる。
 アメリカは日本を征服した事で自信を持ったかも知れないが、日本の場合、国民から絶対的に尊敬される立場の人が居た為に泥沼化しなかったのである。
 徳川家の無血開城を見ても分るが、日本人の場合、無益な殺生はしないという素地が元々あって、その上に皇室を敬うという考え方が二千六百年も続いていたからこそ、玉音放送の一言で終戦を迎えたのである。この一糸乱れぬ終戦のあり方は世界中何処を見渡しても在り得ないだろう。これでアメリカは錯覚したのだ。終戦処理は難しくないと。
 勿論戦火は圧倒的にアメリカが強かったろう。だが国民は玉砕を覚悟で戦っている訳だから米英畜生に死んでも魂は売らなかった筈だ。だが日本国民の象徴である天皇陛下が心痛んで終戦を告げられたので天皇の御言葉は神の御言葉と信じて疑わない日本国民と軍人の全ては戦いを投了したのである。
 国民は常に時のリーダーに振り回されるのであるが、百年に一度の大恐慌にどのように振り回されるのだろうか。高給取りが目減りするのを騒いでいるだけで普段ギリギリでやっている人は多分変わらないだろう。何故なら現実に世の中を動かしている人(働いている人)は末端の人々であり、末端の人がいなくなったら国も地球も滅びてしまうからである。
 大不況の原因を作ったリーマンブラザーズも三大自動車メーカーの社長も会社は大赤字で倒産するから支援してくれ、と言いながら自分は自家用ジェット機で現れ、何十億という年収を貰って、これで誰が支持しますか。資本主義の終焉が此処にあるのである。世の中の道理、原理は矛盾だらけ、不条理だらけなのである。
▼機を見て敏な人は儲けも速くて多いが、損もまた速くて多い。私はバブルが流行った頃、バブルの意味も知らなかったし、バブルにも乗れなかった。終る直前頃、たまたま住んでいたアパートを「出てくれないか」と言われて「なんで?」と聴いた位であった。
 出れば金をくれると言うし、一階の食堂が出て行ったら一〇〇〇万円もくれると言うので、毎日飯を食ってる知り合いの仲だから「おじさん引っ越さない?」って言ったら「嫌だ」という。しかし家賃十万円位の食堂に引越し代二〇〇〇万円も出すというバカげた話だった。それでも嫌というのだから、当時はやはり狂っていたのだろう。
 何も知らない私は五〇〇万円もくれると言うので大喜びで引越し仕度をしていたのだが、ある日二階のトイレが詰って突然、黄金水が逆流して溢れ出し、一階食堂に流れ出して大騒ぎになった。全く偶然に起った現象だったのだが、食堂の親爺は私が故意にやったと勘違いして、次の日「この前の条件でお願いします」と私を訪ねて来たのである。「これが地上げか」と目覚めたものの時既に遅しという訳で、その後一度も地上げの話は来なかった。
 先日の一部都市のミニバブルと言われていた時も、今度こそ、と身構えて待っていたにも拘らず、ただの一度も触らず仕舞いで終ってしまった。いつも終った頃に情報が入る、という事は、私自身が時代に鈍感なのだろう。時代だけじゃなく全てに鈍感なのかも知れない。マイペースなスタイルで生きるには鈍感な方がいいかもよ。
▼今年は未曾有の不景気になる、と予測されるが、業種別にはそうではないのもあるだろう。輸出産業の他、国内でも建設、不動産、タクシー業界は、相当打撃を受けるのは必至だろうが、国民全員が死ぬ訳ではないので我慢をすれば乗り切れる筈だ。
 食べたくても食べれなかった戦中戦後を知ってる人達の経験と知恵と我慢を学べば、贅沢に胡坐を掻いた現在の不景気など物の数ではあるまい。右往左往するな、と言いたい。
 日本の場合、タンス預金や銀行預金に余裕が在ると言われているが、政治が三流ゆえの方向性、政策、制度の未熟さ、閉鎖性、指導力の無さ等、将来の不透明さ不完全さに不安だらけで、金を使う事が出来ない不景気も重なっているのである。
 政治が変わらないのは国民にも責任がある。日本人は特に変革を嫌う。政治責任を追及しない、官僚責任を問わない、行政の無駄や不正を問い糾さない、不正を問い糾そうとすると、問い糾す側が色眼鏡で見られてしまうのである。これは三権分立がまだ確実に根付いてない証拠でもあるが、所詮、神ではない人がやる事だから万能万全は在り得ない、と解釈すれば簡単に答えは出るのであるが、それにしても日本の場合、未熟過ぎる。
 司法、行政、立法が本来独立した立場でなければいけないが、行政、立法はいつも癒着しているような関係に見えるし、司法とて裁判所、検察庁位までは独立しているように見えるが、警察庁というか警察に関しては政治に押しまくられているような感じだし、実際捜査が途中で断念した等と言う話はよく聞く。
 これは反面分らないでもない。裁判官や検事というのは数も少ないし、難関を突破したエリートであるし、しかも一般人と普段接触がない上、物事の判断の全てを法でのみ解釈する習慣が付いている。
 それに比べて警察官は心身健康であれば基本的に誰でもなれる。数も多い。一般人と常に接触するし、感覚も一般人である。その分、情に流されたり、思い込みがあったり、時には方向を間違ったりする。
 検事が「一人一人が国家機関」という強い権限を持っているのに比べて、組織で動く縦社会だから個々に正義感を持っていても上司にバカがいたらどうにもならない事が多々ある。
 特に上司に出世欲の強い奴がいたら、部下は悲劇だろうし、そのグループに出会った事件の当事者も迷惑な結果になろう。
 国民は政治家の不正や公務員の不正にもっと大きな声で怒りを表すべきである。国民が変らなければ政治は変らない。水も平和も只ではないことを認識する事が必要な時代なのである。