未曾有の国難だからこそ統一地方選挙は真剣に挑め!埼玉県議会選挙 南第20区(戸田市)水面下の攻防(2)

2011/03/26

 菅原文仁は同じ町内に住む峯岸光夫県議と神保市長の後押しで、オリンピック体操選手の妹と母を持つスポーツ一家を看板に平成17年の選挙で当選し、市議会派平成会の一員として神保市長にお礼奉公していた。しかし、平成21年2回目の市議選直前に神保派平成会と袂を分け無所属となったが、神保市長の後ろ盾を失ったにも関わらず選挙ではトップ当選を果たした。中島浩一に続くラッキーな神保市長離反者の一人だ。

 菅原文仁は神保市長の後ろ盾なしに市議選でトップ当選した驕りもあるが、無所属の若手政治家を集め「埼玉県政を改革する会」を結成し話題となり勢い付いている。もし県議に当選すれば更に自信を増して市長選を目指し、何れ神保市長を脅かすことになるだろう(その前に神保市長が手懐けるかもしれないが)。市議時代の菅原文仁を良く知る者から、遅刻をするなどダラシナイ面がありスポーツマンのイメージとはかけ離れているとの酷評もあるので実像を見極めなければならない。

 峯岸県議は、神保市長が前市長斉藤純忠の6期に及ぶ長期政権・多選を批判し3期で辞めることを公言していたにも関わらず、平成22年に四期目の再選に臨んだことを批判し、自らも神保市長と袂を分けた。神保市長の後ろ盾があって県議になったという経緯があり、厳しい選挙戦を余儀なくされるがラッキーな神保市長離反者と成れるだろうか。現職の強みで自民党の票をどれだけ上積みできるか。公明党や生活クラブ生協との伝も功を奏するか。

 峯岸県議は応援に唯一尽力を果たすとみられていた菅原文仁が立候補を表明し更に厳しい状況になっている。飼い犬に手を噛まれたと揶揄する声もあるが、峯岸県議が周囲に県議を勇退することを仄めかしていたにも拘らず再選に臨んだことが事の発端にあるというのが地元の噂である。噂が本当なら神保市長が3期で辞めて、峯岸は市長の後任を、菅原は県議の後任をという絵図を描かれていたのかもしれない。神保市長の多選が発端で友好関係が崩れたのは確かだ。つづく。

敬天ブログ敬天新聞トップページ敬天千里眼