2010/10/21
似非同和にして対行政圧力(暴力)団体の先駆者であった尾崎清光。その人脈は政治家や中央省庁官僚に留まらず、暴力団さえにも及んでいたという。昭和59年、入院先の東京女子医大(新宿区)にて、見舞い客を装った3人の襲撃犯に射殺されたのだが、事件は未解決のまま時効となった。
その頃、尾崎清光の秘書として常に傍らにいたのが、まだ業界では無名に等しく、当時30代の駆け出し石原利博であった。尾崎清光亡き後、石原利博は独自に活動を始め、徐々に頭角を現していった。
平成12年、石原利博は事件を起こし逮捕される。奇しくも、尾崎清光の殺人事件が時効となった翌年の事であった。逮捕容疑は、武蔵野市の前市民部長ら職員5人を、農地の宅地転用を急がせる為に脅迫した容疑で、政治団体「新和会」会長を名乗る石原利博が、警視庁捜査4課と武蔵野署に逮捕されたというものだ。
事件の舞台となった武蔵野市(三鷹駅周辺)は、大規模な再開発事業が計画されていて、大手デベロッパーに銀行、日増しに欲を増す地権者、それに絡もうとする事件屋や暴力団が入り混じっていた現場であった。その中でいち早く銭を掴んだのが、取り入った地権者の農地を宅地転用し、業者に売り払った石原利博だった(後に、地権者から訴えられる)。
何れにせよ最後の締めが甘いとはいえ、尾崎清光仕込の業は、しっかりと弟子に継承されていたといえる事件でもあった。ただし、殺人事件の時効後、重石が外れたかのように、すぐさま対行政暴力に及んだ石原利博について、当時の業界関係者は「石原は時効を待っていた節がある。もしかすると殺人に関与してたんじゃないか」といった、噂話が囁かれたりもした。
また、時効までは別件でパクられまいと、慎重に行動していたという出所不明の話もあるが、今となっては全てが闇の中である。実行犯と黒幕、尾崎清光の動静を伝え手引きした者、他に事件に関係した者は、誰一人として真実を語る訳がないからこその迷宮事件なのだ。
さて、これら石原利博のドス黒い背景は、何も特別な情報でも隠された真実でもない。それにも関らず、福島県知事の佐藤雄平は何ら躊躇することなく、いとも簡単に産業廃棄物処分業許可を与えた。百歩譲って、何も知らなかったと言い訳するのならば、本紙の情報提供と忠告を真摯に受け入れ、対処を講じれば済む話である。動かない或いは動けないということは、表沙汰にできない理由があるのかと勘繰られても仕方がない。