実弟と側近に裏切られ全てを失った老夫婦の残酷物語止めを刺した(競売)介錯人は、城南信用金庫中野支店(2)

2010/10/10

 いま現在、太田一吉は夫婦で築き上げてきた会社(共立鋼業株式会社)を奪われ、更には生存権さえも脅かされかねない、生活の糧と棲家を失う瀬戸際に立たされている。

 実弟である太田道則と、創業当時から苦楽を共にしてきた経理担当の豊島沍に、会社運営を託した結果、現状維持の運営どころか、両名は会社解体に向けて走り出したのである。平成8年、事業には欠かせない関連会社「共立横浜」を1億2千万円で事実上売り払ったのを皮切りに、太田道則の暴走は加速していくことになる。

 平成12年、太田道則は共立鋼業を完璧に我が物にしようと、其れまで代表取締役であった太田一吉を解任し、自らが代表取締役に就任したのである。解任の経緯はまさに法も秩序も度外視したドサクサまみれのものだったらしい。しかも、いつの間にやら懐柔したのか、共立鋼業設立時からの顧問弁護士(同社監査役兼任)さえ自陣に引き込み、なかば恫喝した上で太田一吉に代表辞任を認めさせたという。

 しかし、創業者の代表辞任という緊急事態に於いても、メインバンクの城南信用金庫中野支店には目立った動きはなかったとされる。結論から言えば、共立鋼業は平成22年に倒産するのだが、果たして、この倒産は防ぎようがなかったのか。

 何より、倒産時の負債総額11億円の内、城南信用金庫の債権額は約8億3千万円であり、負債の大部分を被っていたのだから、長年メインバンクとして共立鋼業の実情を把握していた同金庫が、何故、倒産するまで指を咥えて眺めていたのか理解に苦しむとこだ。

 城南信用金庫といえば、その辺の地銀など足元にも及ばない、全信金国内2位の預金高と融資高を誇る金融機関である。又、預金・融資といった金融機関本来の業務に傾注した、極めて堅実な企業方針が売りであり、今回の事案のように多額負債を丸被りするようなヘマをするとは考えにくいのだ。

 平成8年に創業者の太田一吉が経営から一歩引いた後、太田道則と豊島沍が行なった、まるで破産・倒産を視野に入れたかの不穏な動きに、城南信用金庫中野支店は異を唱える機会はたくさんあった筈だ。穿った見方をすれば、メインバンクとしての方針もまた、共立鋼業の破産・倒産を既成路線と踏まえ、敢えて静観していたのではないかと思えてならない。

 何れにせよ、太田道則と豊島沍が共立鋼業を破産へと向わせた過程のなかでは、怪しげな行為が幾つも埋もれているのは事実だ。今後、その一つ一つを検証していく。

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