中国への抗議街宣(山梨県民族派団体協議会と共同で新橋にて)

(2010/10/07 写真集)

 この度の中国の、日本に対する犯罪、横暴、無礼、非常識な行為に日本人は怒っている。
 怒っているが、憶測の情、気使い、思いやりの強い優しい国民である日本人は、その怒りを行動には表さない。

 しかし不愉快には思っている。政府の一言で法律がコロコロ変ったり、正式な裁判も経ないで死刑判決を出したり、理由がなくても逮捕したり、他国を侵犯して自国領土と言い張るような国には思いやり、気配り、遠慮と言うものは何の意味も成さない。

 中国のようなゴリ押しで出てくる国には、こちらもゴリ押しして対峙するしか道はない。日本の国から発展途上だからと言って、散々資金援助して貰って、今日の経済発展があるくせに、感謝の欠片も恩の一片も考えないような、国と国交する必要はない。

 民主党政治は商業主義的な見地からばかり見て、中国との付き合いを目指しているが、外交、国交というのはそれだけではない。一部門である商業取引は、全ての取引を30%位に抑えておけば、今回のようなことが起っても慌てることはない。
 信用できない国と取引する時、100%依存することはした方も悪い。バブル経済で踊っているような国に投資する場合、投資した会社も自己責任があることを自覚すべきだ。中国の本性を知るべきである。

 東シナ海の埋蔵化石燃料にしても、中国などと組む位なら、日本領海内から掘削してアメリカとの共同事業にした方が、まだ国益に適うだろう。嘘吐きや裏切り者は、何回も何十回も同じことを繰り返す。
 それは相手に迷惑を掛けてるという概念がないからだ。もっと言うなら自分達は正しい認識に基づいて行動している、とさえ勘違いしている。

 昨日は山梨県民族派団体協議会若杉武弘議長率いる有志の皆さんが、どうしても日本民族の立場を訴えたいと新橋定例街宣に参加し、「戦う意思あり」と宣言した。
 我々は他国の国旗を破る、踏みつける、燃やす等という、中国国民のように下品で野蛮な抗議はしない。国旗にはその国と国民の誇りと名誉が宿っている。その国旗に傷をつける時は、「引かない」を決心した時である。

 思えば三十八年前、商人政治の最たる宰相であった田中角栄が中国との国交を再開させた。多くの国民の心情は当時、同じ中国人であっても親日国家であった台湾との国交を樹立すべきと望んだ筈だ。
 近隣国で台湾ほど親日の国はない。戦後、貧しい日本にあった時も優しい手と思いやりを見せてくれたのは蒋介石率いる台湾だけだった。にも拘らず経済で少し伸びたら、その恩と感謝を忘れて、媚を売るかのように商業政治を優先させ、共産国家の毛沢東を選択したのだ。

 もしあの時、台湾との外交を優先させていれば、中国の発展はあと百年遅れていたろうし、尖閣列島に関しても、協力して友好発展させ領土問題としての紛争はあり得なかったろう。
 日本国民の根底に流れる血は優しいものであるが、基本は新渡戸稲造が唱える武士道精神が必要である。小さな島国が、世界の強国と互して生き抜く為には、武士道政治こそ忘れてはならない、最も根底に持つべき骨子である。

 日本人の武士道とは粛々と潔く行われるものである。当社の街宣車上は日本の国益に適う者であれば、誰にも差別なく提供する。我々は国益を害する者を天敵として戦う新聞社なのである。

敬 天 新 聞 社      
社主  白 倉 康 夫   

                        

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