社主の独り言(辛口)

(敬天新聞7月号)

▼菅のような嫌われ者で役立たずパフォーマンス野郎は一日も早く退場して貰いたいのだが、誰も引きずり落とせない。こういう時、昔なら右翼が活躍した。だが今、右翼は一向に動かない。理由は色々ある。経済力がなくなり、活動そのものが瀕死であること。不景気とは言いながら贅沢しなければ飯は食えること。国が豊かになり維新を国民が望まなくなった。当局の街宣に対する取締りが厳しくなった。年々活躍の場を狭められているのだ。

 東京で活発に動いている団体は殆どない。大きな団体、優秀な先生方は沢山いるが、動くに動けないのだ。辛うじて地方の団体が頑張っている。今のままでは早かれ遅かれ化石になる運命である。ヤクザが暴力団と呼ばれるようになって久しいが、今回だけは本気で暴力団追放を旗印に警察は撲滅を考えている。

 今は右翼も任侠右翼が中心の活動であるが、ヤクザと右翼は本来似て非なるもの。一線が違うことを本人も認識し、所属の親分にも理解して貰うべきだ。私も色んな方にお会いした。大手の会長になる方はそれなりの器量がある。甲乙付け難い。東京で大手と言えば日本青年社、大行社がある。指導者として名高い人では阿形充規先生、藤元正義先生等がいらっしゃる。

 全愛会議という全国的な団体の集まりもある。皆それぞれに紐付きであったり、柵があったりと自分の意思と違う行動で動かざるを得ない人達もいる。手段や方法は違うが目的は皆一緒の筈である。そこで私は提案したい。業界活発化の為にスターを作ることである。

 私が推薦するスターの条件は過去の実績、現在も実力があること、知名度があること、業界で認められてること、風貌が絵になる、リーダーシップがあること等である。そんな人がいるのかよ、と思われるかも知れないが、それがいるのだ、私が推薦するのは皇民党の大島竜a総裁である。「ほめ殺し」という根気の要るストレスの溜る街宣ではあったが、当時の日本一のヤクザの親分を仲介に日本の総理大臣に謝罪させ、それに纏わる金額が数百億動いた、というのは真に痛快ではないか。

 話す力も聞く力も分析力もある。見てくれもいい。この人をスターにすればいい(業界では充分スターであるが)。とにかく若者を育てなくてはならない。若者から見て魅力ある世界にしなければ次代は育たない。どれが本物かエセか、主流か亜流か分らない。月日を重ねればそれなりに絵になってくるし、責任も出てくる。役職が人も作る。伝統として国益を害する者を攻めると言う習慣は残さなければならない。

 これから益々世の中は多様化するだろう。外国人との共存も必要になってくる。単に排斥だけでは理由にならなくなってくるだろう。我々日本人も諸外国でお世話になっているからだ。要はバランスである。

 右翼の運動は攻撃・行動ばかりとは限らない。啓蒙だって立派な運動である。社会には嫌われている部分もあるだろうが、存在そのものにも意義がある。人は誰でも我こそ正義と思っている部分がある。それを表に出して発揮するかしないかが、嫌われ者か否かのターニングポイントのような気がする。

▼菅のアホが全く辞めない。辞める気配も無い。もう少し粘られると俺が心配した「菅も大したもんだ。あれだけ叩かれても、総スカン食っても、独りになっても辞めないんだから凄い。あれこそ今の日本人に最も必要な姿だよ」なんて言い出す者が出てくることだ。

 まー菅が辞めたから次は誰、という者がいる訳でもない。しかし今は誰が総理であっても復旧に関しては全党一致団結して事に当たるべきである。復興は地元に任せてあげればいい。地元のヤル気に支援だけしてあげればいい。その方が復興は早いのだ。

 大本、大枠の部分で国が決めてあげればいい。それから日本は四方八方海岸線で地震国である。いつでも何処にでも津波の可能性はある。義捐金は国民の助け合い運動の発露である。世界からの同情と支援である。

 それはいいが、国が土地の値段を決める時、海岸沿いはリスクを含めて少し安く取引を定め、その代わり津波に対する賠償や補償を個人的には国は負担しない、とか色々なルールを国、県で議論すべきだと思う。全体的な支援や復旧、復興は国会レベルで決めればよい。

 日本は火山国家であるから、それに類する自然災害は多い。その災害の度に国が全ての補償をしていたのでは、国はもたなくなるだろう。海岸の傍に建てる時はコンクリートしか許可しない。それでも木造住宅を建てる人は自己責任とすればよい。

 大地震、津波、原発事故が起きて一〇〇日目で、被災者がまだ避難所生活を強いられてる現状の中で、このような発言は時期尚早とは思うが、いつまでも泣いてられないし、経済を後退させてはいけない。時は元には戻らないし、毎日毎日進んでいる。前に前に進むしかないのだ。

 政治家はいい事ばっかりしか言わない。しかし世の中の全ては善と悪、美と醜、というように表と裏がセットになっている。食べる側のビジネスは幾らでも宣伝できるが糞の話は隠そうとする。出すことの必要性を話してくれるのは病院くらいである。本当は食べたら皆、出しているのだ。しかし現実には汚いことは隠そうとする。

 本当の話を、いいにくい話を、誰かが言わなければならない。嫌われるのは覚悟の上だ。それで日本が良くなるのなら、どしどし指摘、提言すべきだ。汚い話に群がる者は悪い者と見られがちだが世の中の汚い物も誰かが処理している。

 一番いい例は肉業界だろう。肉は美味しいと言って、誰でも食べている。育てている所までは取材に行くが屠殺場、処理施設は見せない。屠殺をしてくれる人、肉処理をしてくれる人達のお陰で我々は嫌な物を見ずに、美味しい肉を食べられるのではないか。

 屠殺場所を見せないということは、この部分が人として、見るに耐えられないからに他ならない。しかしそれを我々は食べている。そんな理由があるから、この業界に行政は:入って行こうとしない。本当は食肉は食品の基本中の基本であるから、衛生面などではしっかり監視は必要なのである。

 だけど実際は業者にお任せコースなのである。屠殺場を国民に見せろ、と言っているのではない。現実とはそいうものである、と言っているのだ。民主党はマニフェストで出来ないことをさも出来るような嘘ばかり言ってきた。その責任は取らなければならない。民主党政治は軽くて薄っぺらな綺麗事政治なのである。

▼インターネット情報が溢れる時代になって、媒体、中でも新聞、ミニコミ誌等がことごとく閉鎖に追い込まれている。大手は権力と繋がったり、与党と繋がったりと、世の中の遊泳術を知っているから、それなりに乗り越えていけるのだろうが、我々のような零細業界はどこも青息吐息の新聞経営だろう。

 一〇年前までは業界NO.1だった「国会タイムス」も、出してはいるが、八ページから一ページ版になったし、時々休刊もある。過激な記事が売り物だった「国際新聞」も事務所も引っ越して心機一転したものの隔月発行になった。

 最近の新聞では一番過激で特に警察とパチンコ屋攻撃で有名だった「ザ・ニュース」も毎月号ではなくなった。日本地方新聞協会の中島会長が出していた「主役」新聞も閉刊したと聞いた。

 それぞれにスクープを連発した実績を持つ一世を風靡した名紙だったのに寂しい限りだ。私も痛い目に会った経験もあるが、主幹である田崎喜朗氏が亡くなったことで「財界人」も閉刊した。寺ちゃんで持っていた八十年の歴史のある政界往来も実質廃刊である。

 フリーで頑張っている雑誌では香村さんが出してる「月刊タイムス」である。目立たないが、燻し銀の光を放っている。取材力には定評がある。新聞で頑張っているのは「中央ジャーナル」だろう。肥後モッコスの福田さんが武士は食わねど高楊枝の精神で悪党退治である。未だに八ページ新聞だから恐れ入る。

 新聞を出してると言っても売れるわけでもないから、経営は大変なのである。権力と戦う、悪事を暴く、不正を追及する、こういう媒体は世に必要である。大手と違って安定性がない。スポンサーやファン頼みであるが、こう景気が悪くては、そちらの方もあまり期待できない。「よっしゃ、わかった。口は出さないが金は出そう」という奇特な方はいないもんかね。

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