がんばろう日本!がんばっぺ東北!石巻市災害復興支援協議会ボランティア参加報告

(敬天新聞5月号)

 東日本を襲った大地震の被災された方々に謹んでお見舞い申し上げます。また亡くなられた方々に心よりご冥福をお祈り申し上げます。
 大地震発生から一ヶ月以上が経ったが、地震・津波・原発の被害は未だ終息の見えない状況にある。
 テレビや新聞、週刊誌等の報道により被災地での惨状は連日伝えられている。改めて被災地の惨状や東京電力福島第一原子力発電所の現状は言うまでも無いが、政府や東京電力に対し追求すべく問題は、何れ糾弾をすることになるだろう。しかし今はま一刻も早く被災された方々の困窮する生活が少しでも改善することを願うばかりである。

思い出の地石巻市へ

 多大な被害を被った地域の一つ宮城県石巻市は当紙記者が幼少時代に、夏になると家族と共に度々磯遊びに訪れた思い入れの深い場所である。
 この度、縁あって当紙記者も微力ながら石巻市社会福祉協議会の要請により災害ボランティア活動に参加した。
 参加するにあたり現地で迷惑を掛けてしまっては本末転倒なので、充分な準備が必要である。被災地へ心ばかりではあるが救援物資を持っていくことや、物資を降ろした後の空きスペースを寝床とすること、そして活動現場への移動等を考慮し、車で行くことを決め地元自治体にて災害派遣等従事車両の申請(被災地からの要望書が必要)を済ませた。またボランティアに参加するには、天災型ボランティア保険に加入し、自分の食料、燃料、作業用ヘルメット・ゴーグル・防塵マスク・安全靴タイプの長靴など、自分の身は自分で護る万全な準備が絶対条件となる。これらの準備を済ませ、被災地で救援作業にあたる車両の妨げとなる朝夕の渋滞発生時刻に到着することを避けて、深夜の到着を予定し出発した。


全国から集まったボランティア

全国から専修大学に集まるボランティア

 先ず向かったのは、ボランティアの受け入れ窓口となっている石巻市災害ボランティアセンターが設置されている専修大学である。
 専修大学に到着すると東京では既に散っている沢山の桜が八分咲きとなっていた。そして全国からボランティアに集まった車やテントで敷地内が埋め尽くされていた。国士舘大学などのバスもあり大学生の団体参加も多いようである。常日頃、当紙社主が世の為・人の為・国の為に一定期間、若者を社会福祉活動に従事させ愛国精神を養うとする徴兵制ならぬ「徴福制」を提唱しているが、大学を挙げて何日も滞在している学生ボランティアには頭が下がる思いである。その他の人達もまた然りである。
 さて到着日は大雨と突風による二次災害の警戒により、ボランティア活動は見合わされていたので、持ってきた炊き出し用のお米や作業でいくらあっても足りないという土嚢袋などを受入れ先に降ろし、石巻市から北上し壊滅的な地区のある女川町へ向かった。道中に避難所となっている女川第一小学校へ立ち寄り、子供達のオヤツ用に準備してきたチョコレート菓子などを子供達の人数を確認の上、渡してきた。何度もお礼を言われたが返す言葉も見当たらず一礼して引き上げた。

過酷なボランティア活動

 石巻市のボランティア活動が再開されてからは、十人で一組のチームを編成し、被災者からの要望を受けた。作業の内容は津波により浸水した家屋の床に消毒薬を巻く作業と全壊を免れた家屋の瓦礫や屋内の泥だし作業である。
 車にスコップやネコ(一輪車)といった道具を積み込み当記者が向かったのは海に程近い石巻市築山三丁目の住宅である。全壊は免れているとはいえ流れてきた車が外壁にめり込み、一階の窓を瓦礫が突き破っている損傷の激しい家屋である。作業内容は屋内の泥だしであったが、玄関に到着するには外の瓦礫を撤去しなければならなかった。重機は無いので、皆で力を合わせ行く手を阻む大木や壊れた物置小屋といった瓦礫の山を片付けた。やっとの思いで屋内へ入るも被害は予想以上の状況である。被災地の外観は一連の報道で知っての通りであるが、屋内もまた言葉にならない被害である。足元はガラスの破片が入り混じったヘドロのような泥に脚の自由を奪われ、滅茶苦茶に進路を阻むタンスや畳といった大きな物や家電製品といった小さなものまで運び出す。水を吸った畳も、収納されている衣類が水を吸ったタンスも何倍もの重さとなっている。更にカビやヌメリで手元が滑る。それを一つずつ近くの空き地まで運び出す。何度も汚泥を体に被りながらの作業であった。人間に嗅覚があることなど誰もが忘れ必死に作業を続けた。介護用のベットもあった。途中、泥の中から家族の写真や仏具が出てきたので慎重に泥を拭い、立ち会っていた家主に渡した。その時に家主が囁いた言葉が悲痛で返す言葉も無く頷くことしか出来なかった。作業以外の言葉を交す者は誰一人いなかった。ただ黙々と休憩時間も忘れ作業を続けていた。皆「あと少し、もう少し頑張ろう」と心で思いながら一生懸命作業にあたっていたに違いない。平和な地域でボランティアというと、人と人とが支えあうほのぼのとしたイメージで捉えがちだが間違いである。長期参加をしている人には改めて頭が下がる思いである。


協力して支援物資を仕分け

まだまだ足りない、ボランティアの数

 このような作業を必要とする家屋が、数えきれないほど手付かずのままである。これは数ある復興・復旧の為にやらなければならない事のほんの一つの作業に過ぎないのだろうが、このような国や行政の手が及ばない多くの問題を被災地の方々は抱えている。そして一刻も早い協力を待ち望んでいる。ボランティアの訪問を要請しても順番待ちの状態であるという。このことを多くの人に知って頂くために不謹慎とは思いつつも被災地をカメラに収めた。ボランティア活動中に至ってはどうしてもカメラを取り出す心境にあらず収めていないがご理解願いたい。

自然の力と言い伝えの真意

 兎に角ボランティアの数はとても足りない状態である。石巻市は他の被災地に先駆けて団体に加え個人のボランティアも受け入れる態勢が整っている。人手が欲しくても受け入れが儘ならない被災地が多いと聞くが自分達だけでやろうとしないで石巻市のように既に態勢が整っている自治体のやり方を参考にするなど、少しでも改善、前進することを願う次第だ。
 今回、大自然の力を前に自分の無力さに無念を感じているという声を耳にするが、科学の力に過信し戦後から高度成長期に追い求め、知恵を絞り出して幾つも生み出してきた「便利」を何時しか越えて、限りの無い「贅沢」に溺れ忘れかけていたこと、先人達が語り継いできたこと、即ち資源に乏しい島国の民が生き長らえてきた源、生死を掌ってきたのは天地自然の偉大な力と恵みであること。八百万の神々を崇め、先人たちが後世に生き長らえる知恵を経験から神話や村々の言い伝えに込めてきた真意を改めて考えさせられた。

継続的な支援が必要

 ボランティア活動を通じ、復興への道のりは、まだまだ長いものであると感じたが「被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います」という大震災後四月十六日の天皇陛下のお言葉から自分たちに出来ることを微力ながら何度でも何回でも行っていきたいと思う。
 被災地に送るのは「がんばってください」の言葉ではなく、自分自身が出来ることを「がんばるぞ」であると思った。目の前の仕事を今まで以上に頑張って活力ある日本の原動力の一躍を担うことが大切であると思う。
 継続は力なり!継続は日本の力なり!


作業に当る自衛隊員の方
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