(敬天新聞3月 162号)
武富士創業者の長男に二〇〇〇億が返ってくるというので大騒ぎになっている。この金は国が創業家にプレゼントしたようなものだ。もし脱税として国が差押をしなければ長男はそのまま株で持っていた可能性もあり、そうだったら今頃、紙屑になっていたのである。
それを考えれば、国はとんでもないドジをしたものだ。と怒るより、この場合、二人の凄腕立役者を誉めるべきであろう。この二〇〇〇億返還の立役者こそ長男武井俊樹の黒幕である香港在住ファンドマネージャ、和田誠一氏と今を時めく業界ナンバーワン弁護士と噂される弘中淳一郎氏である。(こんな凄い弁護士が小沢一郎に付くなんて嫌だなー)
弘中弁護士の時価の株券で供託した上での控訴こそウルトラCであり、和田氏の一年の半分以上は香港で生活していた証明発言こそ逆転勝訴に結びついたのだ。武富士創業者武井保雄氏の在命中、ただ一人アポ無しで自由に会長室に入れたのが和田氏だと言われていた。和田氏が外資マネーを運んでいたからだ。晩年の武井会長は長男俊樹に跡を継がせる心算だった。だが何故か突然辞めさせた。諸説ある。単に仕事でヘマをした、ホモ癖があることがバレたら叩かれる材料になる。そして隠し財産説だった。
和田氏は長男とペアだった。晩年の武井会長は、博子夫人の下には帰らず、四谷に住む愛人と暮らしていた。四谷の愛人宅に長男を呼びつけ仕事をすることもあったが、博子夫人から見ればそれも嫌だった。武井会長は四谷の愛人を長男の嫁にしようとまで考えていたらしい。だがホモ癖のある長男は愛人に全く興味を示さなかったらしい。武井会長が亡くなった後、会社経営に口を出してきたのは博子夫人である。博子夫人は次男健晃を副社長にして、長男と和田氏を完全に追放した。長男は追放され行き場を失った。その時香港に呼び面倒を見たのが和田氏だったのだ。
武井家にはもう一人娘がいる。武井氏はこの娘を殊の外可愛がっていたそうで、一時は武富士の顧問もしていたブラックジャーナリストの堀田健三(本名藪下健三)氏が暴漢に襲われ、その傷が元で一ヵ月後に死亡した事件もこの娘のことを書かれて激怒した武井会長が依頼した事件だったと今でも語り継がれている。
筆者は、当時堀田氏の事務所に出入りしていたので、本人から事情は聴いた。博子夫人は十数人の弁護士を雇っているそうだが、やはり一番頼りにしていたのは弘中弁護士だったらしい。
武井氏が盗聴事件で逮捕された時の保釈申請手続きも弘中先生なのだ。しかし今回の二〇〇〇億返還(うち四〇〇億は金利)は、弘中淳一郎弁護士と和田誠一氏の腕とチームプレーで勝ち取った物で、別に不正があるわけではないから、文句は言えない。ただ、原資については創業一族の荒っぽい金儲けの塊が基になっているので、今後、過払い金請求者や被害者団体から、返せ運動が起るかも知れない。
弘中弁護士はともかく、小畑管財人の動きが怪しい。管財人というのは本来、法的整理を命令された会社に乗り込んで、正しく債権債務を整理し、少しでも多く被害者(債権者)に分配してあげることが第一義であると思う。
今、本社の売却と子会社(京都の土地所有者)の売却を入札で行っているのだが、それが余りにも露骨に漏れているのだ。
当初は全くの後出しジャンケンもあった。最高値百二十億円があったら、その後から百二十五億円を入れた企業があった。大和プロパティという会社だ。ルールの中に二位入札者との間に五億以上の開きがある事、という決まりがあったからだ。これが裁判所から依頼された管財人の仕事と言えるだろうか。裁判所はしっかり監視し、こういう管財人は外すべきである。そうでなければ司法の信用に傷がつく。
入札は厳正にやるべきだし、もし配当を多くしたい為に売却額を吊り上げたいと言うなら競り売りにすればいいじゃないか。どうしても欲しい人はどんどん吊り上げていくだろう。
今の小畑管財人のやり方はどうしても自分の意中の所に落札させたい、売却させたいと思っているのではないかと見えてしまうのだ。現に役員の中には個人的に売却先を探している者もあり、おかしな状況も続いている。
(詳しくは当紙ブログ「武富士の裁判所を愚弄する不正入札情報漏洩」カテゴリーに掲載してあります)
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