兄を裏切り全てを奪った弟、今度は立正佼成会信者を相手にボロ儲けか

(2010年11月号 第159号)

計画倒産

 本年度、これまでの上場企業の倒産件数は九件となっている。因みに、本紙とは因縁浅からぬ消費者金融大手「武富士」も、その内の一社である。過去最高を記録した平成二十年の三十三件と比べると、その数は激減したともいえる。然るに、倒産件数減少が即、景気回復を示すものではない。中小企業の不況型倒産は逆に増加しているとも言われている。
 一般的に中小企業の倒産といえば、会社と一体化している事業主の個人破産を伴うのが大半だ。会社への銀行融資等に連帯保証となったり、個人資産を担保としている以上、会社倒産イコール自己破産となるのも致し方ないところだ。
 しかし、破産する事業者の中には、多くの債権者に負を押付けつつ、破産者らしからぬ生活を確保している輩がいる。俗にいう計画倒産というものだ。傾きかけた会社を倒産させまいと踏ん張るのは大変な労力だが、逆に会社を意図的に倒産に導くことは容易いことだ。
 更に大口債権者、例えばメインバンク等の協力が得られれば、会社を玩具の如く好き勝手に弄繰り回すことが可能となる。債権者が会社の実態を計るとき、メインバンクの動静は常に注視しているものだ。「メインバンク(大口債権者)が支援している間は大丈夫だ」といった具合だ。しかし、そのメインバンクが他の債権者が与り知れない内に、倒産を念頭に事業者と結託していたならば、他の債権者は蚊帳の外ととなり、結局はババを引く憂目となる。
 今回、俎上に載せる倒産事案は、計画倒産の疑いも然ることながら、散々世話になった実兄の老夫婦を陥れ、全てを奪った上に平然とプチセレブ並みの生活を謳歌している、鬼畜同然といえる似非破産者の追求である。

共立鋼業

 本年一月、東京地裁に倒産・自己破産を申請したのが、共立鋼業株式会社(杉並区和田、設立・昭和四十一年八月、資本金三千七百五十万円)で、代表者は同社共々自己破産を申請した太田道則である。負債総額は十一億四千三百万であった。
 同社は、大手ゼネコンの下請けとして鉄筋工事の受注を主に、平成四年には年商四十五億円を稼ぎ出していた。しかし、近年の新築工事の減少を受け業績が悪化、あとはお決まり通りの倒産ということらしい。債権者の内訳をみると、同社メインバンクの城南信用金庫(品川区西五反田、深沢浩二理事長)が負債総額の大半を占める八億三千万円の債権を保有しており、債権額次順位である三井住友銀行の八千五百万円とは大きな開きがある。
 城南信用金庫といえば、預金・融資高とも全国二位(信金内)に位置する大手である。又、その企業方針は金融機関本来の業務に傾注した堅実さを売りとしている。特に、融資にあたっては厳格な与信が有名であり、その結果として回収不能となる不良債権の発生は極めて少ない。
 共立鋼業と城南信用金庫の付き合いは長く、同社に営業担当として出入りしていた同信金中野支店行員は、信金を退職してまで同社の経理担当として入社していた程、太いパイプを有していた。
 それにも関らず、同社の財務内容を細部まで把握しうる立場にありながら、同信金は見す見すと不良債権を抱えてしまったのだ。

大田道則

 何とも城南信用金庫らしからぬ下手打ちであるが、これが担当行員と中野支店の上級職が無能だったからと、簡単に片付くものなら問題ないのだが、どうやら裏事情があるようなのだ。
 そもそも、共立鋼業を倒産に追いやった太田道則は、同社の二代目代表で、先代である同社創業者は、太田道則の実兄である太田一吉であった。
 同社の業績が安定していた最中、杉並区「東円寺」の檀家総代として、葬儀会場建設に尽力していた太田一吉は、同社の実務を弟である太田道則に任せていたのだが、能力不足が否めないことから代表交代には躊躇していた。

経理 豊島沍

 しかし、兄が実務から遠ざかるや否や、太田道則は同社資産を食い潰していったのだ。手始めに、同社子会社「共立横浜」から一億二千万円を受け取り、親子関係を解消したのである。同社にとって、共立横浜の存在は当時の事業運営に欠かせない存在だったのだが、よほど現金が欲しかったのか後先考えなしに売り払ってしまったのだ。
 これには、兄の太田一吉も危機感を覚え、協議の場に同席しようとしたようだが、弟はこれを拒否して事実上の売却に踏み切ったという。その後は、社員保有の株式を密かに買取り、筆頭株主となった太田道則は、ついに太田一吉を代表から引き摺り下ろし、自らが新代表に就任したのである。
 本来ならば、能力不足の太田道則の補佐役として、先代時代からの経理担当である豊島沍が、暴走を諌める立場であったのだが、この男もまた金の誘惑に引き込まれていた模様だ。
 豊島沍については、経理能力が乏しい割に金には人一倍執着をもち、以前から不透明な資金の出し入れをしていたという。創業当時からの勤続とはいえ、所詮は中小企業の経理担当で、その報酬はたかが知れたものだ。
 しかし年間学費二千万円(入学前後の個別負担含む)は必要とされる宝塚音楽学校に娘を入学させたり、二人の子供には分譲マンションを其々に買い与えているというのだから立派なセレブ様である。豊島沍が如何にして、これらに投じた大金を手にしたかだが既に刑事事件として訴訟準備が進んでいる模様だから、早晩にも裁判の場で明らかになることだろう。

城南信金、無関与の「胡散臭さ」

 太田一吉にとって、何よりの誤算が同社の舵取りを任せた両名の裏切りであり、最も悔やまれるべきは、身内と側近を盲目的に信用してしまった自身の甘さだといえる。 しかし、解せないのがメインバンクである城南信用金庫の対応である。安定した事業継続には不可欠であった共立横浜の分離独立、事件性さえも疑われる杜撰な経理処理、何より信用ある創業者の社長退任と、大口債権者であるメインバンクが介入すべきタイミングは多々あったのだが、結論からいえば只々静観していたのみである。
 太田道則が会社資産を食い潰しつつ倒産を画策していたとするなら、同信金も倒産への動きを容認、若しくは後押しさえしていたのではと勘繰ってしまうのだ。何れにせよ共立鋼業が倒産したことで、所有する全ての不動産資産を担保にしていた太田一吉は丸裸とされた。回収したのは勿論、大口債権者である城南信用金庫である。一方、倒産時の代表であった太田道則は、自己破産したことでほぼ無傷で倒産を乗り切ったのである。

東洋博善

 そればかりか、数十年来の妾(一男一女あり)の実弟を社長に、自らが会長に就く葬儀社「東洋博善」(杉並区和田)の実権を握り、悠々自適に暮らしている始末だ。年老いた実兄と、その妻や娘から全てを奪いし所業は、正に犬畜生にも劣るものといえる。
 さて、東洋博善がある杉並区和田といえば、百四十七万世帯の信者を有する「立正佼成会」の発祥の地であり、周辺には多くの関連施設が点在している。東洋博善は、この立正佼成会信者の葬儀を請負うことを営業の柱とし、利益を上げているという。
 人生の終焉に立ち会う葬儀業は崇高な職業であるが、人の道を踏み外した太田道則には、その資質は断じて無い。知らぬとはいえ、太田道則の手によって旅立ちする立正佼成会信者が何とも哀れである。


大田道則が実質経営する東洋博善梶i代表 岸 将行)東京都杉並区和田1-34-1

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