社主の独り言(辛口)

(敬天新聞6月号)

▼元公明党委員長・矢野絢也氏が執筆した「黒い手帳」を読んだ。創価学会と公明党の関係が手に取るようにわかる。これを読むと政教一致どころか公明党は創価学会の駒のような存在である。

 創価学会と言うより池田大作氏の駒である。信教の自由と言う立場から信仰するのは勝手だから、御利益があると信じて真面目に信心している創価学会員を批判しようとは思わない。だが創価学会の現状を見た時、これが宗教団体かと思えるような疑わしい言動が夥しい。

 この本にも数多く出てくるが、創価学会の公式新聞である聖教新聞の中に出てくる幹部座談会形式の脱会者や対立者を対象にした罵詈雑言。とても宗教者の言葉ではない。毎回必ず誰かを叩く。大体、宗教団体ではなく壇徒の集まりといった方が正解に近いわけだから宗教法人として許可する所に無理がある。

 普段の行動も親睦団体としてや頼母子講的な動きが多く、それ以上に選挙票のための行動が大半と言っていいような活動なのである。逆に公明党は全く政党として体を成している気配はなく、全くもって宗教党である。

 その宗教党の力を借りて国を運営しているのが自民党だから情けない。

 国民の大半は本当は自民党が好きなのである。自民党が好きと言うより、官僚が好きなのだ。一応、頭のいいのが揃っているわけだし、頭のいい人達だから、上手に国を運営してくれるだろう、と思っている。

 それに過去に名を残した名将が数多くいる。大岡越前も遠山金四郎も暴れん坊将軍も日本人なのだ。日本人に一番合う政治をしてきたのが自民党だったはずなのに、特定の考えを持った宗教政党である公明党と組んでいる為、本来の良さを発揮できないでいるのだ。

 長年の創価学会員であり、公明党のトップまで行った人が国会で真実を証言したいと言っているのだから、こんなチャンスはない。自民党は今こそ矢野氏を国会喚問すべきだ。と同時に池田大作氏にも数々の疑問を問えばいい。これをやったら国民は自民党を見直すよ。国民の九割以上は非会員なんだから、何も恐れることはない。

 確かに学会員は選挙になれば全員が選挙票に変身するから、立候補者から見れば欲しい存在かもしれないが、憲法違反であるなら、それは潰せばいい。しかし矢野氏の著書を読む限り、創価学会の場合、完全にカルト宗教であり、公明党の議員の殆どが池田氏個人の私兵と化している。

 矢野氏の手帳を持ち去るシーンなど完全に犯罪行為で、それを熱狂的な無名の一信者がやるのではなく、国会議員をやっている者がやるのである。黒柳明などは公明党の幹事長までやった男である。それが何の感情も持たないロボットのような行動をするのである。裁判に提出するのに録音したテープを改竄したり平気でやる。

 只、今の学会は金を持っている為、零細企業の雑誌やミニコミ誌を買収して記事を書かせたり、大手新聞・雑誌には広告を載せる為、批判記事を書く所は少ない。

 それより怖いのは、幼稚園から大学までの教育機関に力を入れている為、大作チルドレンが限りなく増えてる点だ。子供の頃から洗脳されたら、なかなか解けない。それらが、それこそ立法、司法、行政、経済、教育などあらゆる分野へ潜入していく。

 誰でも自分の信ずる物や尊敬する者を批判されると面白くない。言論の自由や信仰の自由が失われる危険性があるのだ。宗教では創価学会だけが特別な立場になる。創価学会を批判しただけで不利益を被る恐れも出てくる。矢野さんの勇気に大拍手を送りたい。

 矢野さんの前の委員長だった竹入さんもこっぴどくやられた。だが、竹入さんはやられっぱなしで闘わなかった。脱会者を防ぐ為に見せしめとして叩くのだろうか。それにしても矢野さんはよく立ち上がった。国の為に、と言ってもいい。

 陰湿な嫌がらせは今後も続く可能性はある。それをさせない為には、みんなで矢野さんを見守ることだ。矢野さんの発信する著作や記事を読み続け、協力すればいい。悪いことは暗闇で起こる事が多い。みんなで矢野さんを照らし続ける事だ。そうすれば公明党も学会も矢野さんに手が出せないだろう。

 是非、「黒い手帳」を読んで欲しい。日本国内でこれ以上創価学会員が増えることはないだろう。それが分っているからこそ、永住外国人に対する参政権付与に力を入れているのである。外国人に参政権は与えてはならない。

▼私の永住外国人に対する参政権付与反対は無用の争いを避ける為である。誰でも祖国や郷土を愛している。特に事情があって外国に住む者の祖国に対する郷愁は特別な物がある。普段はいい。問題は自分の祖国と今住んでいる国との間で利害関係が生じ、敵味方に成らざるを得ない時どちらを選択するかである。

 今、こちらに生活基盤がある。しかし、祖国に両親や兄弟がいる。その間で当人は悩むだろうし、或いはスパイ行為のような事さえしなければならないかも知れない。参政権がなければお客としていればいいのであって、祖国以外を愛する必要はない。

 ただ現在お世話になっている国として感謝すればいいし、儲けさせて貰ったと思えば、それに見合う対価を払えばいいだけですむ。そして住民達と仲良くやっていけばいいのだ。

 いずれ時期が来れば、EUみたいな関係が徐々に広がりを見せていくだろう。YES、NOをハッキリ言えない国民性の日本の場合、こういう事で世界をリードするより世界の様子を見ながら後ろから着いて行くぐらいで丁度いいのである。

 大体、外国人参政権付与を訴えているのは、公明党を始めとして、共産党や社民党など少数党が多い。これは純粋に外国人優遇を考えているというより「選挙権を取った時には是非、我が党に」という邪な考えがあるように思えてならない。

 出自や宗教の契りの深さには特別なものがある為、それが政治に持ち込まれたら正しい行政が出来ない為、政教一致を憲法で禁じているのだ。特にわが国の風土に宗教政治は馴染まない。政治家が宗教に口を出すべきじゃないし、宗教家が政治に口を出すべきじゃない。

 戦後、日本で最高のヒーローだった力道山が、実は北朝鮮出身者だった。人気が落ちることを恐れ、力道山は自分が朝鮮半島出身者だったことをずっと隠していたそうだ。一方で力道山の正体を知りながら後援していた人達は反共を掲げる保守派の政治家や経済界の者達と言うから、世の中の巡り会わせと言うものは分らない。

 だが有名になれば成る程、色んな所から引き合いは強くなる。当然、北朝鮮政府が家族を通じて北送を促す。そういう間の中で心が揺れるのである。若い時は何も考えない。政治も郷愁もない。故郷に不満があったり、親に不満があったりして、家を飛び出す事はよくある。

 二度と故郷には帰らない。そう決意して出てきた筈の者でさえある年齢になると郷愁が出るのである。男の場合特にその傾向があるが、順応力に優れている女性の場合、終の住処に拘らない。

「ファンソ(猛牛)と呼ばれた男」という本を読んだ。東声会町井久之会長の半生を書いてある本だ。恐らく在日韓国人の中で一番出世した著名人の一人ではなかろうか。その光と影、興亡が書いてある。外国人として住む故の矛盾、不条理の上に北と南に別れた故の苦悩もある。東声会はヤクザとばかり思っていたら反共団体としての発足だとは知らなかった。

 力道山が赤坂のニューラテンクォーターで刺された時、私は小学校五年か六年だった。当時一番強いのは、プロレスラーだと思っていたので何で相手が刃物持ったぐらいで負けるんだろう、と不思議でしょうがなかった。

 プロレスの時は相手が鉄棒持っていようが、椅子を持っていようが、最後には空手チョップでやっつけるのに、なぜ負けたんだろう、と不思議だった。酒を飲んだ経験もないから酩酊の状態も分らない。それと一番納得行かなかったのが、何でプロレスラーの子分達が仕返しに行かないのだろうと、と思った。その頃、俺が必ず力道山の仇を討ってやると誓ったものである。

 私は町井会長とはお会いしたことはなかったが、東声会の番頭的な立場にジョー・カミロという人が居て、その方に学生の頃から可愛がって頂いた。日本に最初にディスコ店を持ち込んだ池口麗子女史の店、数店の新宿店でガラの悪い学生が出入りすると私が注意していたのである。本当の用心棒はジョーカミロ氏だった。

 それから数年後、総会屋高田光司氏の用心棒として雇われるのだが、その高田氏の後見役が偶然ジョー・カミロ氏だったのだ。一方で力道山との縁も後につながる事になる。

 二代目日本プロレスの社長になった芳の里淳三氏が引退後、私の会社に来ることになった。その紹介者が、現力道山OB会会長の岩沢敏男氏である。ところが岩沢会長は力道山と喧嘩した側のトップと親しい。勿論、私との縁も深い。このように世の中は義理や人情が絡み合って成り立っている。時が立てば益々複雑に絡み合って行く事だろう。

 何で線を引くのか、いつの時で線を引くのかによって捉え方が大きく変わってくる。優先順位を何に持ってくるかで、また変わるだろう。宗教を一番に生きてる人、政治を一番に生きてる人、出自を最も大事にしている人もいれば、犯罪してでも経済という人もいるかも知れない。

 私自身、条件が全て同じであるなら日本主義であるが、日本人の悪質犯罪者や詐欺師のような輩より、心暖かい優しい中国人や韓国人が好きである。国対国となれば、当然、祖国防衛であるが、個人的には是々非々となる。私は外国に行く機会がよくあるが、外国に行けば当然、その国の法律を守り、その国の文化を尊重する。

 観光客として当然である。況してや、そこに住むとなれば尚更そのような気持ちになって当然と思うが。ただ慣れというのは恐ろしいもので、初めは感謝していたものも、そのうち当然となって、その上を要求したくなる。まあ、新婚の時と、あれから四十年の変り様みたいなものですかねー。

 それにしても日馬富士の優勝は清清しかった。「君が代」を歌っていたからね。ああいう外国人には参政権をあげてもいいんじゃない?

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