(敬天新聞5月号)
【外堀から徐々にではなく一番得した人間だけ徹底追及することも真相究明の一手】
年初より追及している、アクサ生命保険の代理店による生保不正契約事件であるが、最終的には組織的詐欺として決着がつくのではないかと、本紙では予測している。
但し、事件首謀者である「信和総合リース」(千代田区神田錦町三−十五NTF竹橋ビル四階)の創業者である林正治が死亡したことで、事件の全容解明には今暫くの時間を要する気配だ。
何れにせよ、信和総合リースが保険契約手数料を得るが為に、約一万件の不正契約に及んだことが明白である以上、同社は勿論のこと、既に積極的関与を認めたアクサ生命の部長級社員(事件発覚後に懲戒解雇)と執行役員二名(退任)に加え、不正契約と知りつつ顧客企業の斡旋や直接投資を行なっていた税理士・会計士らが、何らかの刑罰に処されることは間違いない。
信和総合リースの破産手続を行なっている管財人、不正契約の実態調査に乗り出した金融庁と捜査当局、加えて国税局の皆さんには、全容解明まで是非とも頑張って頂きたい。
さて、公権力の調査・捜査とは別に、本紙は独自の追求を推し進めるのみである。そこで着目したのが「最後に笑った者は誰なのか」という、最終利得者の特定だ。勿論、この最終利得者とて最後には泣きを見ることに違いはないが、現状では逃げ切ったと平然と高を括っている。
本紙は、この最終利得者の一人を、保険コンサルティング企業「ライナインシュアランス」の武林隆代表だと踏んでいる。
ライナ社と信和総合リースは、極めて深い関係にある。信和総合リースが破綻間際に流れ着いたのが、ライナ社が本社を置くNTF竹橋ビルであるが、ここは月額家賃百八十万円は下らない商業ビルである。
文無しのホームレスがホテルのスウィートルームに連泊するかの無茶な移転が罷り通ったのも、偏に切るに切れない関係があったからこそだろう。
そもそも、ライナ社の大株主であった林正治は、元部下である加藤博をライナ社の代表に据え置き、事実上の支配下に治めていた。林正治は、ライナ社を先々上場させる腹積りでいたようで、その為に売上の積み上げに躍起となっていた。
その手口は、信和総合リースの自前の契約を、恰もライナ社が全て扱ったように見せかけて、契約件数と売上を伸ばしていたのだ。無論、その契約が一万件に及ぶ不正契約の一部であったことは言うまでもない。
結果、ライナ社は不正契約の受け皿となり売上を伸ばす一方、契約実績の付け替えとなる付績契約を抱える事になった。
更なる問題が、営業を行なわずして、契約者に接触すらせずに保険取扱者となっていたライナ社は、明らかに保険業法違反(無面接募集)を犯していたことだ。
この件に関しては、ライナ社の取扱契約が含まれる凡そ百三十件の契約者リストを本紙は入手しており、そのなかで不正契約と知りつつ積極的に名義貸しを行なっていた契約者が、多数存在していることも間違いない。
又、同リストを作成したと思われる、信和総合リースの二代目代表である、大山会計(横浜市港南区)の大山哲代表に、同リストを明示し取材を申入れたが、何らの返答すらないままだ。
既に退任しているとはいえ、顧客名簿に等しい同リストが流出している事態を、無関係を装って放置するかの対応には、無責任極まりないと断じる他ない。所詮、銭儲けに利用したに過ぎない契約者など、その利用価値が失われた今となっては、邪魔者でしかないということか。
だからと言って、不正契約に積極関与した契約者を被害者として見逃す訳にはいかない。大山哲が口を噤むのであれば、同リストを一般開示することで不正関与の契約者に自浄を促す他ないとも考える。
さすれば、何処に悪意が存在し、誰に犯意があったのかが明白となり、事件解明の一助になることは間違いないからである。
斯様に、信和総合リース及びライナ社が、自己都合による利己的な対応に終始していることが、事件解明が進展しない要因とも言える。
尤も、より事件を複雑化している主原因が、ライナ社の現社長である武林隆による、林正治への裏切り行為にあることに、否定の余地はない。
元々、林正治は武林隆がアイ・エヌ・エイ生命保険(現、損保ジャパンひまわり生命保険)の代表であった当時の部下だったのだ。
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下線部が、武林隆師匠への上納金?
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その後、独立して信和総合リースを立ち上げた林正治が、生保業務の師匠とも言うべき武林隆を、三顧の礼で同社顧問に迎え入れたという経緯がある。
それを雄弁に示すものが、信和総合リース「総勘定元帳」である。其処にある委託手数の科目で武林隆に七百三十六万円が支払われているのがわかる。更に、掲載外の同元帳には月々九十万円の多額報酬が、決って支払われていたことも記されている。
この事実に加え、後に武林隆がライナ社代表に就任したことを踏まえれば、不正契約を重ねていた脱法企業を、師弟関係にあった二人が協力し運営していたことは、誰の目にも明らかであることが解る。
しかし、信和総合リースの破綻が避けられない状況に陥ってから、武林隆は林正治とは距離をおくようになり、最後には一方的に関係を断ち切ってしまうのである。
武林隆にしてみれば、地位と金を与えてくれたとはいえ、所詮は昔の部下である。当然、使われの身であることに忸怩たるおもいがあったのであろう。その最中、林正治が前触れもなく死んだことも、ライナ社を我が物にするに好都合であったことも否めない。
現在、武林隆は信和総合リースとの関係を消し去るのに必死に策を講じている。ライナ社で書面のみ取扱った契約者に対し、連日の電話で「契約行為の全てをライナが扱ったことにして欲しい」と、無面接契約が表沙汰にならぬよう、揉み消しに奔走しているのだ。
ただし、契約者の中には口裏合わせに同意しない者や、況してや、単に名義が勝手に使われていた純然たる被害者ならば、違法行為者の片棒を担ぐ義理などない。この揉み消し工作は、既に捜査当局の耳にも届いているらしい。
保身を急ぐ余り、道理の感覚が麻痺しているのであろうが、致命的な墓穴を掘ってしまったようだ。